
フレームがあるからこその創造性
自分以上に自分を大切に関わる
どんな勢力図にも寄り添うタブー無き関係
他者コミュにおいては技術もさることながら、その大前提としてこの人なら「何でも話せる」「無限に擦り合わせられる」という関係性を育てることも大切。
話し手側が打ち明けたくなかったり、何でも聴いたり話したりできる関係性を築けていなければ聴き手は無力です。
何でも話せる関係を築く上で「否定せず聴く」ことは基本に挙げられますが、一見話すことさえ憚られるような、たとえば「犯罪を犯したい」「不倫したい」「死にたい」といった「それに共感するのはどうよ?」というようなことも、その気持ちに積極的に寄り添い耳を傾けられるかどうか。
仮に世間に向けてこれらの吐露をすると、否定されたり、ダメな人間のレッテルを貼られそうですが、これは「その人の中の一勢力図をその人の全てと捉える」こと、それから「一瞬たりとも1mmもそんなことを考えたり感じたり口にしてはいけない」という文化がそうさせているのだと思います。

一勢力図をその人の全てと捉える世の文化に物申す
どんな話もそこを起点に複数の勢力図を拾い、バトりながら深め展開できると知っていれば、動じたり否定することなく、「どうしてそんな気持ちになったのだろう」「それに対して他にどんな自分(勢力)がいるのだろう」という関心を持って耳を傾けられる。だからこそ、話し手も「この人はどんな自分であっても自分の中に起きてることとして一旦受け容れてくれる」という安心が得られます。
聴き手があらゆる自分に耳を傾け、そこを起点に一緒に対策を考えてくれるからこそ、「こんなことを考え(感じ)ちゃってるんだよ〜。。」と打ち明けたくなるし、それにより話し手が自身の今の状態を一つの自分(↔︎それが自分の全て)として対象化し、扱いやすくなるのもポイント。
むしろ「そんな自分(勢力)もいる」と話し手/聴き手(社会)が受け容れないことで、自分の一部を無きものにした結果、本来の自分の感情/感覚を見失ったり、抑圧された感情が暴発することこそ最も避けるべきだと思います。

囚われ/タブー視/反発/拗らせ
一見社会的にマズそうな思考/感情も、それを採用してみたらどうなるか、しっかりシミュレーション/実験出来るからこそ、頭ごなしや正論や抑えつけでない、複数の自分間でのバトルを決着させ心底本人が納得した決定/断捨離が可能になります。
真の受容
一方で、「背中を押す/必要な課題に目を向ける/ツッコミ所を無くし洗練させる」ためにあえて「徹底的に問い迫る/抵抗やタブーに(良い意味で)切り込む/反対の勢力の声を代弁する」関わりも。
真に相手の複数の自分や行く末を大切にするからこそ、結果的に相手の1つの選択(自分)に対し否定する(最終的に相手の選択/決断は尊重する前提で)こともありえるのが、本当の意味での「相手のため」だと思います。
「受容」「傾聴」の本質を突き詰めもせず、単に「否定してはならない」と安易な解釈をしてしまうのは思考停止でしかないと思います。
受容とは「現状をありのままに見つめる」ことであり、これはスタートラインの話なのであって、ゴールもその通りになることまでは意味していません。つまり、「今その状態/勢力図であること(そこから始めること)に共感」はしても、「今後もその選択をし続けることに共感」しなければならないわけではないということです。

受容=採用し続けることではない
踏み込み擦り合わせる/平等に肩入れ
つまりは、しっかりと耳を傾けつつも同時に必要なことはちゃんと伝える、そのバランス感覚が大事ということ。話し手も聴き手も何かをタブー視することなく、そんなことを言っても聴いても良いんだ、と積極的に踏み込み合うこと。
その際、意見の食い違いや認識の違いがあっても互いの所感をしっかり出し合い、何度も何度も擦り合わせ続け、分かり合える経験を積むことも必要です。
喧嘩になることを恐れるあまり、踏み込まない/擦り合わせないことを良しとする人がいます(特に夫婦関係でこれを採用する人が一定数見受けられます)が、「悪いケンカを避ける」ことには共感しつつも、ちゃんと適切なやり方で踏み込み擦り合わせる「良いケンカ」をすることの否定にはなりません。

(踏込擦合せ)
A(人)が言ったかB(人)が言ったかに関わらず、X(意見)もY(意見)も互いがそれぞれに平等に肩入れし洗練させる「良いケンカ」からはプラスは生まれても何のマイナスも生じないはずだからです。

(平等に肩入れ/全体目線)
メタコミュニケーション
また、互いのコミュニケーションの取り方についてメタに作戦会議(メタコミュニケーションと言います)ができる関係を築くことも大切です。

(メタコミュ)
たとえば「ここはもっとアイデアの提案が欲しかった/聴くメインが良かった」「この時言い方がキツい印象だったのはなぜ?」「ここ、自分の中の複数の自分じゃなく話し手と聴き手のバトルなってしまった(のをどうしたら良かったか)」等々。
珍獣園では仲間同士で相手のテーマに関わるトレーニング時間があり、関わりの直後にメタコミュニケーションするのが通例ですが、自分の話に耳を傾けてくれている相手に関わり方の注文をするなんて遠慮しちゃうのが一般的だと思います。
しかし「平等に肩入れする」「洗練させる」前提であれば、互いの感じていることを全てさらけ出し、より良い関わり方を一緒に探究し納得できた方が、関わる度に相手への信頼感が増し、より本音で話し合えるようになります。
誰よりも本音を話せる関係性
これらの「自分以上に自分を大切に関わる(自たか)」努力をし続けた結果として、誰よりも本音を打ち明けられたり、他では見せたことのないキャラが現れたり、誰よりも遠慮なく踏み込み擦り合わせられる関係へと育ってゆきます。
それゆえ、珍獣園での仲間関係が参加者のパートナーの嫉妬の対象となることもしばしば。パートナーの前でもより本音をさらけ出し合うこと、そして互いに踏み込んで擦り合わせることも生き方洗練課題の一つであり、当事者間の課題として進めていってもらいます。
いずれも多大な労力と時間を要するし、特に踏み込んで擦り合わせることに関しては上手く話がまとまらなかった場合に関係がこじれやすいため、どんな相手にでも仕掛けるべきではありませんが、たとえば家族/パートナー/親友など、今後も長く関係を続けたい(なければならない)相手に対しては努力を続けてみるべきだと思います。
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そもそも珍獣って?/全体まとめ
